由緒
三峯神社の創建は景行天皇41年(111年)であると伝えられています。皇子日本武尊が景行天皇に東征に遣わされた際に碓氷峠に向かう途中で立ち寄ったこの地の山川が清く美しい様子を見てこの国を産んだとされる伊弉諾尊、伊弉册尊を偲んで二神を祀るお宮を造営したのが始まりといわれています。日本武尊の死後、景行天皇が東国を巡幸した際に上総国(現在の千葉県)で三山高く美しく連らなるこの地を“三峯山”と名付け、社には“三峯宮”と名付けたと伝えられています。三峯山の三山は現在の白岩山、妙法ヶ岳、雲取山です。
第42代文武天皇の御代(697年~707年)には修験道を創始した役小角が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられており、このころから三峯山は修験道の場にもなりました。天平8年(736年)に国中に悪病が流行した際には聖武天皇が諸国の神社に病気平癒を祈るとともに皇后が諸国の霊山に観音を祀りましたが、その時三峯神社にも別殿を建立して観音像を祀らせました。やがてこの別殿は三峯山本堂となり、平安時代には弘法大師が淳和天皇の勅命を受けて十一面観音像を奉祀し、次第に神前奉仕も僧侶によって行われるようになりました。
東国武士による篤い信仰をうけて繁栄しましたが、正平7年(1352年)には初代室町将軍足利尊氏との合戦(武蔵野合戦)に敗れた新田義興が三峯山に身を潜めました。このことが足利尊氏の怒りにふれて社領を没収され、その後140年のあいだ衰退しました。文亀2年(1503年)になって修験者の月観道満が荒廃を嘆き、27年という歳月をかけて全国を行脚して資金を募り、天文2年(1533年)に社殿を再建しました。後奈良天皇から「大権現」の神号を授けられ、以後三峯山は天台修験の関東総本山とされて隆盛しました。
江戸時代には徳川家などの崇敬を受けて再び繁栄しました。農作物を猪などから守る神使として崇められた狼が次第にこの狼が盗戝や災難から守る神とされるようになり、狼の護符を受けることが流行し、参詣するための講も各地に組織されました。
神仏習合の場となっていた三峯神社ですが、明治時代の神仏分離で寺院を廃して今の形となりました。
祭神
三峯神社の主祭神は伊弉諾尊と伊弉册尊です。この二神は日本国土となる多くの島々を生み、さらには川、風、野などの森羅万象の神々を生み出しました。
三峯神社を創建したとされる日本武尊は東征の際にこの三峰の地の山川が清く美しい様子を見てこの国を産んだ伊弉諾尊と伊弉册尊を偲んでこの地に二神を祀りました。
伊弉諾尊について詳しくはこちら。
伊邪那岐命|kami-sama|learning 'jinja'
伊弉册尊について詳しくはこちら。
伊邪那美命|kami-sama|learning 'jinja'
摂末社
境内社
本殿右側に大小24の社殿が並びます。
- 祖霊社
- 祭神:開山以来の祖霊
- 国常立神社
- 祭神:国常立尊、瓊瓊杵尊、神倭岩余彦尊
- 日本武神社
- 祭神:日本武尊
- 伊勢神宮
- 祭神:天照皇大御神、豊受姫大神
- 月讀神社
- 祭神:月夜見命
- 猿田彦神社
- 祭神:猿田彦命、天宇受賣命
- 塞神社
- 祭神:八衢彦神、八衢姫神、久那斗神
- 鎮火神社
- 祭神:火産靈命、水速女命、埴山姫命
- 厳島神社
- 祭神:市杵嶋姫命
- 杵築神社
- 祭神:大国主命、事代主命
- 琴平神社
- 祭神:大物主神、崇徳天皇
- 屋船神社
- 祭神:屋船豊受姫命
- 稲荷神社
- 祭神:宇迦御靈命
- 浅間神社
- 祭神:木花開耶姫命
- 菅原神社
- 祭神:菅原道眞
- 諏訪神社
- 祭神:武御名方命
- 金鑚神社
- 祭神:天照皇大御神、素戔嗚神
- 安房神社
- 祭神:天太玉命
- 御井神社
- 祭神:水速女命
- 祓戸神社
- 祭神:瀬織津姫命、速開都姫命、氣吹戸主命、速佐須良姫命
- 東照宮
- 祭神:徳川家康
- 春日神社
- 祭神:武甕槌命、天兒屋根命、齋主命、比賣神
- 八幡宮
- 祭神:誉田別命、息長帶姫命、比賣神
- 秩父神社
- 祭神:八意思兼命、知知夫彦神
- 大山祇神社
- 祭神:大山祇命
境内奥に1社の末社があります。
- 御仮屋神社(お仮屋)
- 祭神:大口眞神
境外社
近隣に以下の境外社があります。
- 氷川神社
- 祭神: 須佐之男命、大己貴命、稻田姫命
- 所在地:秩父市三峰
- 薬師神社
- 祭神:大穴牟遲神、少名毘古那神
- 所在地:秩父市三峰
- 清浄宮
- 祭神:不詳
- 所在地:秩父市三峰
- 竃三柱神社
- 祭神:火産霊神、奥津比古神、奥津比賣神、少彦名神
- 所在地:秩父市大滝696