このウェブサイトはご利用の端末での閲覧に対応していません。
This website does not support your device.

伊邪那岐命

記事May 26th, 2020
伊邪那岐命は伊邪那美命とともに日本の国土となる島々や川、風、野などの森羅万象の神々を産んだ神です。天照大御神と須佐之男命の父神でもあります。
史料によって解釈が異なる場合があります。
史料によって解釈が異なる場合があります。

基本の情報

伊邪那岐命

伊邪那岐命は天地開闢において神世七代の最後に伊邪那美命とともに生まれた神です。伊邪那美命の兄であるとともに夫でもあり、日本の国土となる島々や川、風、野などの森羅万象の神々を産みました。天照大御神や須佐之男命の父神でもあります。

神名(古事記)
伊邪那岐神いざなぎのかみ
伊邪那岐命いざなぎのみこと
神名(日本書紀)
伊弉諾尊いざなぎのみこと
性別
男神
神話
古事記
日本書紀

神話

天地開闢

まだ未完成の世界は天と地が別れず混ざり合い、渾沌としていました。しかしある時、それらは別れ、清浄なものは上昇して天に、重く濁ったものは大地となりました。そして高天原に一柱の神、天之御中主神あめのみなかぬしのかみが現れました。続いて高御産巣日神たかみむすびのかみ神産巣日神かむむすびのかみが生まれ、さらに宇摩志阿斯訶備比古遅神うましあしかびひこぢのかみ天之常立神あめのとこたちのかみが生まれました。これらの五柱の神は天津神あまつかみの中でも特別な存在として“別天津神ことあまつかみ”と呼ばれます。

国之常立神くにのとこたちのかみ豊雲野神とよくもののかみが生まれます。ここまでの神は性別がありませんでしたが、続いて宇比地邇神うひぢにのかみ須比智邇神すひぢにのかみ角杙神つのぐひのかみ活杙神いくぐひのかみ意富斗能地神おほとのじのかみ大斗乃弁神おほとのべのかみ於母陀流神おもだるのかみ阿夜訶志古泥神あやかしこねのかみの男女の対になった神々が生まれ、そしてその最後に伊邪那岐神いざなぎのかみ伊邪那美神いざなみのかみが生まれました。国之常立神くにのとこたちのかみ豊雲野神とよくもののかみ、5対の神は合わせて神代七代かみのよななよと呼ばれます。

国生み

伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみこと天津神あまつかみ天沼矛あめのぬぼこを与えられ、まだ渾沌としていた大地を完成させるよう命じられました。伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみこと天浮橋あめのうきはしに立ち、天沼矛あめのぬぼこで渾沌とした地上を掻き混ぜました。すると矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島おのごろじまになりました。

この島に降り立った二神は淤能碁呂島おのごろじま天の御柱あまのみはしら八尋殿やひろどのを立てました。そして、伊邪那岐命いざなぎのみことが左回りに、伊邪那美命いざなみのみことが右回りに天の御柱あまのみはしらの周りをまわり、出逢った所でまず伊邪那美命いざなみのみこと伊邪那岐命いざなぎのみことの魅力を褒め、続いて伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことの魅力を褒めてから交わりました。しかし、最初に生まれた子の水蛭子ひるこは不完全な子であったため葦船あしぶねに乗せて流してしまいました。次に生まれた淡島あわしまも不完全な子だったため悩んだ二神は天津神あまつかみの下へと赴いてこの理由を尋ねました。占いにより女神の伊邪那美命いざなみのみことから誘ったのがよくなかったとされたので、二神は伊邪那岐命いざなぎのみことから誘って改めて交わります。

伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことは日本の国土となる8つの島々、大八島おおやしまを産みました。また、二神は続いて6つの島を産みました。

神生み

大八島やほかの島々を産んだ伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことは次に神々を産みました。この時家宅六神かたくろくしんや海、川、水、風、木、野といった自然にまつわる神を産みます。しかし、火の神、火之迦具土神ひのかぐつちのかみを産んだ時に伊邪那美命いざなみのみことは火傷を負い、病床に伏してしまいます。苦しむ伊邪那美命いざなみのみことの吐瀉物などからも次々と神が生まれましたが、伊邪那美命いざなみのみことは死んでしまいます。

伊邪那美命いざなみのみことの死に伊邪那岐命いざなぎのみことは泣き悲しみ、その涙からも神が生まれました。伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみこと比婆山ひばやまに葬りましたが、伊邪那美命いざなみのみことを失った怒りから火之迦具土神ひのかぐつちのかみ十拳剣とつかのつるぎで斬殺してしまいます。この時にも剣から滴った血や殺された火之迦具土神ひのかぐつちのかみの体から神々が生まれました。

黄泉国訪問

伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことを取り戻そうと黄泉国よみのくにへ行きます。黄泉国よみのくにに着いた伊邪那岐命いざなぎのみこと黄泉国よみのくにの御殿にいる伊邪那美命いざなみのみことに扉越しに、一緒に創った国土がまだ完成していないので帰ろうと呼びかけました。これに対して伊邪那美命いざなみのみこと黄泉国よみのくにの食べ物を食べて黄泉よみの住人になってしまったので帰れないと答え、さらに黄泉神よもつかみと相談しに行くので自らの姿を見ないように求めました。

しかし、伊邪那美命いざなみのみことがなかなか戻ってこないため伊邪那岐命いざなぎのみことは髪につけていた櫛の端の歯を折って、火を灯して中に入ってしまいました。そこで見た伊邪那美命いざなみのみことの醜く腐った姿を見てしまい、逃げ出します。これに怒った伊邪那美命いざなみのみこと黄泉醜女よもつしこめを使って追いかけますが、伊邪那岐命いざなぎのみことが投げた髪飾りから生えたブドウやタケノコに夢中になったため逃げきります。次に伊邪那美命いざなみのみことは自らに纏わりついた八柱の雷神と1500の鬼の黄泉軍よもついくさを送り込みますが、伊邪那岐命いざなぎのみこと十拳剣とつかのつるぎを振りながら黄泉国よみのくにの入り口の黄泉比良坂よもつひらさかのふもとまで逃げ延び、そこあった桃の木から実を取って投げつけたところ雷神と黄泉軍よもついくさは退散しました。ここで伊邪那岐命いざなぎのみことは桃に意富加牟豆美命おおかむづみのみことと名づけました。

最後は伊邪那美命いざなみのみことが自ら追ってきますが、伊邪那岐命いざなぎのみことは1000人がかりでないと動かない巨石で黄泉比良坂よもつひらさかを塞ぎました。閉ざされて怒った伊邪那美命いざなみのみことはこれから一日に1000人ずつ人間を殺そうと言い、対して伊邪那岐命いざなぎのみことはそれなら人間が滅びぬよう一日に1500人生ませようと返し、離縁しました。その後伊邪那美命いざなみのみこと黄泉よみの主宰神となりました。また、この出来事から人間に寿命ができたとされています。

禊と三貴子の誕生

黄泉国よみのくにから逃げ帰った伊邪那岐命いざなぎのみこと黄泉よみ穢れけがれを落とすため阿波岐原あわきはらみそぎを行いました。まず衣を脱ぐと12の神々が生まれました。次に上流は流れが速すぎて下流は流れが遅すぎると言って川の中流に潜って水を浴びて身を清めました。この時黄泉よみ穢れけがれから災厄を司る二柱の神が生まれ、そのまがを直す神も三柱生まれました。また、川の底、中ほど、表面で身を清め、綿津見三神わたつみのさんしん住吉三神すみよしさんしんが生まれました。

最後に伊邪那岐命いざなぎのみことが左目を洗うと天照大御神あまてらすおおみかみが、右目を洗うと月読命つくよみのみことが、鼻を洗うと須佐之男命すさのおのみことが生まれました。伊邪那岐命いざなぎのみことは最後に三柱の貴い子が得られたことを喜び、天照大御神あまてらすおおみかみに首飾りの玉の緒を渡して高天原たかまがはらの統治を任せ、月読命つくよみのみことには夜の食国よるのおすくにを、須佐之男命すさのおのみことには海原うなばらを治めるように言いました。この三柱の神は伊邪那岐命いざなぎのみことが生んだ子の中で最も貴いとされたことから三貴子みはしらのうずのみこと呼ます。

ところが須佐之男命すさのおのみことは泣き叫び、海は荒れ、木々は枯れ、悪霊が充満して天地に甚大な被害を与えました。伊邪那岐命いざなぎのみことが問いただすと母神の伊邪那美命いざなみのみことがいる根之堅洲国ねのかたすくにへ行きたいと言ったため、怒った伊邪那岐命いざなぎのみこと須佐之男命すさのおのみことを追放しました。

その後伊邪那岐命いざなぎのみこと淡海おうみ多賀たがに鎮座します。

関連項目

祀る神社

以下は伊邪那岐命を主祭神として祀る主な神社です。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町に鎮座。
伊邪那岐命と伊邪那美命を祀る。
伊弉諾神宮
兵庫県淡路市に鎮座。
伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る。
伊佐須美神社
福島県大沼郡会津美里町に鎮座。
伊弉諾尊、伊弉冉尊、大毘古命、建沼河別命を祀る。
雄山神社
富山県中新川郡立山町に鎮座。
伊邪那岐神、天手力雄神を祀る。
常陸國總社宮
茨城県石岡市に鎮座。
伊弉諾尊、大国主尊、素戔嗚尊、瓊々杵尊、大宮比売尊、布留大神を祀る。
筑波山神社
茨城県つくば市に鎮座。
筑波男ノ神と筑波女ノ神を祀る。
三峯神社
埼玉県秩父市に鎮座。
伊弉諾尊と伊弉册尊を祀る。
自凝島神社
兵庫県南あわじ市に鎮座。
伊弉諾命と伊弉冉命を祀る。
江田神社
宮崎県宮崎市に鎮座。
伊邪那岐尊を祀る。

関係する神様

伊邪那美命
伊邪那岐命の妹であり妻。
天照大御神
伊邪那岐命の禊の時に生まれた三貴子の一柱。
須佐之男命
伊邪那岐命の禊の時に生まれた三貴子の一柱。
月読命
伊邪那岐命の禊の時に生まれた三貴子の一柱。
史料によって解釈が異なる場合があります。
史料によって解釈が異なる場合があります。
一番上へ
トップにもどる
シェアする
シェアする
Facebookでシェアする
ツイート
Google+でシェア
Pocket
はてなブックマーク