太宰府天満宮と牛
菅原道真の生まれ年が乙丑年であることや、亡くなった日が丑の日だったこと、牛が刺客から菅原道真を守ったことがあること、葬送の牛車が動かなくなった場所を墓所としてそこが太宰府天満宮となったことなど様々な言い伝えがあります。後世になって脚色された伝承もありますが、菅原道真と牛にはいくつものつながりがあり、それゆえ牛は「御神牛(ごしんぎゅう)」として太宰府天満宮の祭神である菅原道真の神使とされています。
境内には大小合わせて11体の御神牛像が鎮座しています。この御神牛像は銅像だったり石像だったりしますが、牛車の牛がうずくまったところを墓所としたという伝承にちなんで臥牛と呼ばれる伏せた姿勢の牛の像になっています。
御神牛像は「撫牛(なでうし)」とも呼ばれ、けがや病気がある場所を撫でると治る、もしくは頭をなでると頭がよくなると伝えられています。
鷽と鷽替え神事
鷽替え神事は1月7日の酉の刻(夕方6時)に参加者が木彫りの鷽を交換し一年間の幸福を祈念する神事です。現在では菅原道真を祀る全国の神社で行われていますが、太宰府天満宮が発祥です。
鷽替え神事は木彫りの鷽の木像である木うそを「替えましょ、替えましょ」の掛け声のもと暗闇の中で終了の合図があるまで参加者同士が交換し合うというものです。これは、「嘘」と「鷽」をかけて、知らず知らずのうちについたすべての嘘を天神様の誠心に替え、これまでの悪いことを嘘にして今年の吉に取り替えるという意味があります。
鷽替え神事には神事に用いる木うそ専用の授与所で受ければ誰でも参加することができます。神事の後は木うそを持ち帰って自宅に祀り、一年間の幸福を祈願します。また、木うその中には神職が紛れ込ませた当たりの木うそがあり、運良くその木うそを手にした人は金の鷽が授与され、特に幸運に恵まれるといわれています。
ウソはスズメより一回り大きい小鳥で、オスは頬から喉にかけての緋色が特徴です。名前が口笛を意味する古語「うそ」から由来する通り、口笛のような鳴き声を発します。
菅原道真と鷽との関係については、道真が蜂の大群に襲われた時に鷽が救ったとも、鷽の文字が学問に通ずる「學」に似ているからなどともいわれています。
鷽替え神事の当日以外にも木うそを模した筒状の木の中に紙のおみくじが入った鷽鳥みくじを授与所で引くことができます。また、神事で使う木うそ以外にも参道のお土産店でさまざまな木うそが販売されています。
鬼すべ神事
鬼すべ神事は毎年鷽替えと同日の1月7日の夜に催行される神事です。寛和2年(986年)で菅原道真の曾孫にあたる大宰大弐菅原輔正によって始められたと伝えられる歴史ある神事で、災難消除や開運招福を願って行われます。
氏子奉仕者約300名が鬼を退治する燻手、鬼を守る鬼警固、そして鬼係に別れて鬼退治の場面を演じます。それぞれが参道を練り歩き、夜9時ごろまでに境内東側にある鬼すべ堂に集まります。
鬼すべ堂前に積まれた松葉や藁に本殿で起こされた御神火で火がつけられると燻手が大団扇で煙を鬼すべ堂へ送り込んで鬼を追い出そうとします。それに対して鬼警固は鬼すべ堂の板壁を打ち破り、堂内の煙を外に出して鬼を守ろうとします。板壁がすべて破られると荒縄で48ヵ所を縛られた鬼が鬼係に囲まれて堂内を七回半、堂外を三回半まわります。一周ごとに鬼に向かって神職や氏子会長が煎り豆を投げ、卯杖で打ち、鬼を退治すると鬼すべ神事は幕を閉じます。
燃え残った板壁は火除けのお守りとする風習があり、持ち帰って玄関先に祀ると良いとされます。
飛梅伝説
飛梅は本殿前の向かって右側に植えられた樹齢1000年を超えるとされる白梅です。もともとは菅原道真が大宰府に左遷されてから逝去するまで謫居した跡にある榎社に植えられていたものを太宰府天満宮の建立時に移したものと言われています。
この飛梅には次のような伝説が残されています。
菅原道真は家族との十分な別れも許されないまま京都を離れる時、日頃からとりわけ愛でてきた屋敷の梅の木、桜の木、松の木との別れを惜しみました。この時梅の木に語りかけるように詠んだのが次の歌です。
東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。
桜の木は主人が遠くの地へ去ってしまうのを知り、悲しみのあまりみるみるうちに枯れてしまいました。しかし、松と梅は主人を追って空を飛び、松は途中で力尽きて摂津国八部郡に降り立って根を下ろし、残った梅だけはその日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったといわれます。
境内には6000本以上の梅の木が植えられていますが飛梅は毎年一番先に花を咲かせると言われています。
梅が枝餅
梅が枝餅は太宰府天満宮の境内や参道に並ぶお土産店や茶屋で売られている、あんこを薄い餅生地で包み、鉄板で焼いた焼餅です。買ってその場で焼きたての餅を食べられるほか、持ち帰り用にも販売されていて太宰府定番のお土産になっています。梅の刻印が特徴ではありますが、梅の味がする餅というわけではありません。
元祖がどの店舗なのかは不明で、現在は太宰府梅ヶ枝餅協同組合に加盟する35軒の店舗が梅が枝餅を販売しています。
一説には、大宰府へ左遷されてきて官舎に軟禁状態となって悲惨な生活を送っていた菅原道真に見かねた近くの老婆が餅を梅の枝に刺して格子越しに差し入れたのが由来とされています。
また、現在の太宰府天満宮となる安楽寺の門前で餅を売っていた老婆が道真を元気づけようと餅を供したことで道真の好物となり、道真の死後にその餅を老婆が梅の枝を添えて墓前に供えたという説もあります。
菅原道真の誕生日が6月25日、命日が3月25日であることにちなんで毎月25日を「天神さまの日」としてヨモギ入りで緑がかった色の梅ヶ枝餅が販売されています。また、九州国立博物館の開館10周年を記念して販売された古代米入りの紫がかった梅ヶ枝餅が定例化されて毎月17日に販売されています。
お石トンネルとお石茶屋
太宰府天満宮境内のにある宝満宮参拝隧道は一般には「お石トンネル」と呼ばれる煉瓦造りのトンネルです。
このトンネルは現在の麻生グループである麻生炭鉱を興した麻生太吉が昭和3年に寄進したもので、太宰府から竈門神社への近道として建設されました。
ところが、当時境内で茶屋を営んでいた「お石さん」が竈門神社の近くにある自宅と茶屋を行き来しやすいように麻生太吉が掘らせたのではないかと話題になり、このことでトンネルは「お石トンネル」と呼ばれるようになりました。
当時は「お石しゃん」として親しまれた江崎イシは色白の美人として広く知られた女性で、筑前三美人のひとりにも数えられたといわれます。お石さんの名声は中央にまで届き、犬飼毅や佐藤栄作、高松宮殿下、松岡洋右、吉井勇など名だたる有名人がお石さんに会うために彼女の茶屋に足を運びました。
お石さんが営んでいた茶屋というのが今も境内の奥で営業している「お石茶屋」で、屋号はお石さんが母親が営んでいた茶屋を継いだ時に自分の名前にちなんで改めたものです。
当時の面影が残るお石茶屋ではうどんやお茶、歌人の吉井勇も詠んだ梅ヶ枝餅をいただくことができます。
太宰府のお石の茶屋に餅食えば 旅の愁ひもいつか忘れむ