由緒
志賀海神社の創建については不祥ですが、古くは志賀島北部の勝馬にそれぞれに表津綿津見神、仲津綿津見神、底津綿津見神を祀る表津宮、仲津宮、沖津宮の3宮があったとされています。
神功皇后の三韓出兵の際には阿曇氏の祖とされる阿曇磯良の協力を得るために訪れ、庇護を受けた神功皇后は三韓出兵を成功させたと伝えられます。志賀島を一大拠点とした古代の海人族である阿曇氏は綿津見三神を祖神として奉斎しました。
二世紀から四世紀の間に阿曇氏が表津宮を本土に近い志賀島南部の勝山に遷座し、仲津綿津見神と表津綿津見神を奉祀したことで現在の志賀海神社となりました。以来、阿曇氏が代々奉斎し、志賀海神社は阿曇氏の中心地であったと考えられています。
平安時代の天安3年(859年)に「志賀海神」の神階が従五位上に授けられているほか、延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳では名神大社に列しています。弘安4年(1281年)の元寇(弘安の役)の際には志賀島は戦場となり、その様子が描かれた「蒙古襲来絵詞」には志賀海神社の鳥居や社殿が描かれています。
往時には末社375社を有するなど繁栄していましたが、戦乱が続いた南北朝時代以降は衰退しました。その後志賀海神社は筑前国を治めた大内氏によって再興され、九州に出兵した豊臣秀吉も朱印地50石を寄進しました。以降も小早川氏や黒田氏などの武家の庇護を受けます。江戸時代には初代福岡藩主の黒田長政の寄進により本殿、拝殿、楼門などが造営されています。
明治5年(1872年)に近代社格制度で村社に列し、大正15年(1926年)には官幣小社に昇格しました。
摂末社
境内社
参道に2社の末社が祀られています。
- 印鑰社
- 祭神:天磐楠船神(船玉社)、久那土神(不勿来社)、加具土神(愛宕社)
- 雁の巣の航空隊で祀られていた3社を合祀した末社。
- 山之神社
- 祭神:大山津見神
摂社は1社が本殿に向かって左側に祀られています。
- 今宮神社
- 祭神:宇都志金拆神、住吉三神、天児屋根命
本殿裏手に8社の末社が祀られています。
- 熊四郎稲荷社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 秋葉社
- 祭神:火具土神
- 磯崎社
- 祭神:大己貴神、少彦名神
- 荒神社
- 祭神:奥津比古神、奥津比売神、火産霊神
- 松尾社
- 祭神:大山咋神
- 祇園社
- 祭神:素戔嗚命
- 大神宮
- 祭神:天照皇大神、豊受大神
- 惣社
- 祭神:八百万神
- 往時に祀られていた375社の末社を合祀した末社。
境外社
また、近隣に以下の境外社があります。
- 大嶽神社
- 祭神:志奈津比古神、志奈津比売神、大濱宿禰命、保食神
- 所在地:福岡市東区大岳3丁目24-10
- 小嶽神社
- 祭神:小濱宿禰命
- 所在地:福岡市東区大岳4丁目4-1
- 弘天神社
- 祭神:伊弉諾尊、伊弉冊尊
- 所在地:福岡市東区弘
- 沖津宮
- 祭神:表津綿津見神、天御中主神
- 所在地:福岡市東区勝馬
- 仲津宮
- 祭神:仲津綿津見神
- 所在地:福岡市東区勝馬1787