山誉祭
山誉祭は4月15日と11月15日に行われる行事で、志賀三山の勝山、 衣笠山、御笠山の山々を誉めて山と海の恵みに感謝する神事です。山誉種蒔漁猟祭と呼ばれる春の山誉祭では五穀豊穣や豊漁を祈り、山誉漁猟祭と呼ばれる秋の山誉祭では一年のご加護と収穫を感謝します。本殿と今宮神社で八乙女の舞の奉納などの神事が行われた後、山から切り出した椎の木を挿し立てた斎庭で三山を誉める山誉神事が行われます。また、春の山誉種蒔漁猟祭でだけ育民橋の上から四方に種をまく種まきの所作が行われます。
この神事の起源は明らかではありませんが、神功皇后の三韓出兵の時に神功皇后の前で志賀の海人たちが古くから伝わるこの神事を見せたところ、志賀の浜に打ち寄せる波が途絶えるまで伝えるようにと言い、この神事を厚く庇護したのだと伝えられています。
山誉祭の最後には海へ漕ぎ出して鯛を釣る場面が演じられますが、この時奉じられる口上には「君が代」の歌詞が登場します。
君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸に命千歳という
花こそ 咲いたる 沖の御津の汐早にはえたらむ釣尾にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや
志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで
今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ
いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良が崎に 鯛釣るおきな
「君が代」の歌詞の出典は「古今和歌集」に収録された読み人知らずの和歌であるとされていますが、山誉祭の神楽歌が旅芸人によって広められてそれが古今和歌集に収められたとする見方があります。また、同じく安曇氏と所縁が深い福岡市の名島神社と大川市の風浪宮にも同様の神楽歌が伝わっています。
事無き柴
無事三韓出兵から凱旋した神功皇后は、そのお礼の祭典を奉仕し、椎の木でできた船の舵の柄を勝山の山中に挿し立てて奉納しました。後にこの舵の柄から芽吹いた葉が「事無き柴」と呼ばれ、外出の際に葉を一つ持っていくと「事無く」還る事ができると言い伝えられています。
毎年七夕祭では博多湾岸一円の漁師が志賀海神社に漁の安全と大漁を祈願するために参拝します。参拝した後には椎の木で作られた「事無き柴」と志賀茶を授かり、漁の際には葉を一枚身につけて出かけると帰って来られると信じられています。翌年には1年の漁の無事を感謝して事無き柴を返納し、新たに授かります。
また、神事には榊を用いるのが一般的ですが、志賀海神社のある志賀島では榊ではなく椎(柴)を用いています。