基本の情報 由緒と祭神 参拝する 境内のみどころ 一の鳥居 拝殿・本殿 天ノ真名井 あれこれ 周辺のみどころ 関連記事 # 一の鳥居 中津宮の正面の参道にある一の鳥居には“明治三十七八年”、“戦役記念”の字が刻まれています。“明治三十七八年戦役”とは日露戦争のことで、戦勝を記念して1907年に建立されたものです。 日露戦争中の日本海海戦は宗像大社沖津宮のある沖ノ島からその始終が目撃され、宗像大島にも多くの戦死者が流れ着きました。 一の鳥居 # 拝殿・本殿 拝殿は1928年、本殿は1566年に造られたものです 拝殿と本殿 本殿は三間社流造です。 横から見た拝殿と本殿 裏手から見た本殿 拝殿は妻入の切妻造です。拝殿の奥には天照大神が三女神に示した神勅“汝三神、道の中に降りて居して天孫を助け奉りて、天孫の為に祭られよ”にちなむ“奉助天孫而 為天孫所祭”の扁額が掲げられています。 正面から見た拝殿 “奉助天孫而 為天孫所祭”の扁額 # 天ノ真名井 社務所の横にある階段を降りていくと御神水が湧く天ノ真名井(あまのまない)があります。この水は大島の最高峰である御嶽山の源とし、境内を流れる天の川に注ぎます。 天照大神と素戔嗚尊の誓約の時に天照大神が素戔嗚尊の十握劒を高天原にある“天真名井”の水で濯ぎ、噛み砕いて吹き出すと、その息の霧から田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神の宗像三女神が生まれました。この井戸はこの神話の“天真名井”から名づけられています。 天ノ真名井