

拝殿・本殿
社殿が造営されたはっきりした時期は不明ですが戦乱などによる破壊と再建を繰り返してきたとされています。現在の社殿は弘治3年(1557年)に焼失した後に再建されたものです。本殿は天正6年(1578年)の大宮司宗像氏貞による再建、拝殿は天正18年(1590年)の筑前領主小早川隆景による再建でともに国の重要文化財に指定されています。
多くの神社では本殿が南もしくは東へ向かって建てられていますが、辺津宮の本殿は北西に向けて建てられています。北西へ延びる参道の先には中津宮や沖津宮があります。

本殿は五間社両流造です。通常流造では正面にだけ屋根を伸ばしますが両流造では後方にも伸びます。五間は正面の柱間が五つある(柱が6本)ということです。2013年に屋根と塗装の修復が行われ、美しい朱色と白色です。


拝殿は妻入の切妻造です。神門と拝殿の間に握舎があるため、拝殿全体を正面から見ることはできません。拝殿の内側には福岡藩3代藩主の黒田光之が奉納した三十六歌仙図扁額の複製が飾られています。


拝殿の奥には天照大神が三女神に示した神勅“汝三神、道の中に降りて居して天孫を助け奉りて、天孫の為に祭られよ”にちなむ“奉助天孫而 為天孫所祭”の扁額が掲げられています。

高宮祭場
本殿から“高宮参道”と呼ばれる道を10分ほど歩いた高台の上には高宮祭場があります。高宮祭場は宗像三女神が降臨した場所と伝えられる古代祭場で古代の祭祀の場を間近にみることができる数少ない場所です。現在も高宮神奈備祭や月次祭では実際に神事が行われます。
高宮祭場は下高宮祭祀遺跡と呼ばれる場所にあり、“昭和の大造営”の時に遺跡調査を踏まえて古代の祭場の形が再現されました。高宮祭場より奥には上高宮祭祀遺跡がありますがこちらは禁足地です。



高宮祭場には高宮祭場まで行かないと受けることができない割符守があります。半分に名前と年齢を記入して割って吊るし、残り半分をお守りとして持ち帰ります。