不老水
不老水は香椎宮の祭神である仲哀天皇と神功皇后に仕えた五大臣の筆頭で朝廷に長らく仕えた武内宿祢命が炊飯や造酒に用いて300歳の長寿を保ったと言われる霊泉です。
一時は放置されていましたが、天平宝字3年(759年)に再び井戸として整えられ、この頃から不老水と呼ばれるようになります。この水は毎年病疫を祓い、寿命を延ばす霊力がある水として香椎宮境内にある綾杉の葉とともに朝廷に献上されました。
不老水には漏斗やコップなどが備え付けられており、持参した容器に入れて持ち帰ることができます。ただし、近年湧出量が減少しているため汲んで良い量には制限がかけられています。また、飲む前に煮沸することが推奨されます。
不老水は昭和60年(1985年)に環境省選定の名水百選に認定されています。
開放時間は10時から15時です。
御島神社
御島神社は香椎宮から約1.7kmの香椎浜沖約150mの海上にある小さな祠です。香椎宮の末社で、祭神は海神として信仰される綿津見神です。
日本書紀では神功皇后が三韓征伐へ向かう前にこの地で占いをしたと伝えています。神功皇后は解いた髪を海水で濯ぎ、もし霊験があれば自然と二つに分かれるだろうと言って占いをしました。髪は自然と二つに分かれたので神功皇后は出陣を決意し、角髪を結いました。この時、神功皇后が女装束のまま男性の髪型を結ったことがこの地の片男佐海岸という地名の由来です。
御島神社は海上にあって通常は近づくことができませんが、年に一度の例祭では神職が干潟を渡って神事を行います。周囲の海岸は香椎浜北公園など、多くの部分が公園として開放されているので対岸からは簡単に眺めることができます。
名島城跡
名島城は豊臣秀吉の九州平定後に一帯の領主となった小早川隆景が居城として築いた城です。水軍の本拠地とすることができる城として三方を海に囲まれた丘に築城されました。関ヶ原の戦い後に小早川氏に代わって入城した黒田長政もはじめは名島城を居城としましたが、城下町を整備する余地が少ない名島城に代わって福岡城を築いたため廃城になりました。
福岡城築城に際して名島城の建物や石垣が資材として持ち出されたのに加え、周辺の宅地化もあって遺構は多くが失われてしまいましたが、一部が名島城址公園として整備されています。また、歴代城主が守護神として崇敬した名島神社は今もこの地に鎮座しています。なお、もともと名島城にあった門が福岡城跡である舞鶴公園に「名島門」の名で現存しています。
名島城は豊臣秀吉の九州平定後に一帯の領主となった小早川隆景が居城として築いた城です。水軍の本拠地とすることができる城として三方を海に囲まれた丘に築城されました。関ヶ原の戦い後に小早川氏に代わって入城した黒田長政もはじめは名島城を居城としましたが、城下町を整備する余地が少ない名島城に代わって福岡城を築いたため廃城になりました。
名島城址公園の開放時間は4月から9月は9時から19時、10月から3月は9時から17時です。
立花山城跡
立花山城は標高367mの立花山の山頂に港町博多を見下ろす拠点として大友氏の流れをくむ立花氏によって築かれた山城です。山全体を要塞とした大規模な城だったと伝えられ、戦国時代末期には城主立花統虎は島津氏の約4万の大軍から城を守り抜きました。豊臣秀吉の九州征伐の後は柳川城へと移封となった立花氏に代わって小早川隆景が入城しましたが、名島城を築いて居城としたため支城になり、関ケ原の戦いの後新たに領主となった黒田長政は福岡城を築いたため廃城になりました。
福岡城を築城する際に立花山城の石垣を移築したため、遺構は少ないですが、それでもいくらかの石垣が現在も残っています。
立花山は比較的緩やかな山で、ハイキングコースとして人気です。山頂からは博多湾や玄界灘、福岡の街並みを望むことができます。また、立花山のクスノキ原始林は国の特別天然記念物に指定されていて、樹齢300年以上の大クスも自生しています。
海の中道海浜公園・マリンワールド海の中道
海の中道海浜公園は九州本土と志賀島を繋ぐ砂州の海の中道にある国営公園です。東西に約6キロメートル、面積約260ヘクタールという広大な敷地に季節の花が楽しめる花畑や遊園地、プール、キャンプ場などがあり、子どもから大人まで楽しむことができます。
開園時間は3月から10月は9時30分から17時30分、11月から2月は9時30分から17時です。入園料は大人450円、中学生以下は無料です。
マリンワールド海の中道は海ノ中道海浜公園に立地する水族館です。“九州の海”をテーマに300種類以上の魚、イルカ、アシカなどの海獣を飼育、展示しています。
営業時間は3月から11月が9時30分から17時30分、12月から2月は10時から17時です。入館料は大人・高校生2350円、小・中学生1100円、幼児600円です。海の中道海浜公園とは分かれています。