綾杉
綾杉は樹齢1800年を超える御神木で、名前は葉が綾のように交互に生えていることに由来しています。
この杉は神功皇后が三韓征伐から帰還したとき、剣・鉾・杖の三宝を埋めて「永遠に本朝を鎮護すべし」と誓いを立てて鎧の袖の杉枝をその上に挿したものと伝えられます。
綾杉の葉は国家鎮護の象徴として天平神護元年(765年)から一時中断を挟んで1868年まで不老水とともに毎年朝廷に献上されていました。また、大宰帥に赴任する人は香椎宮に参拝し、神主が折った綾杉の枝をその冠に挿して任期中の無事を祈る儀式を行ったといいます。
綾杉は和歌でも詠まれています。新古今和歌集にもその名を見ることができ、詠み人知らずのこの句の歌碑が綾杉の傍らにあります。
千早振る 香椎の宮の綾杉は 神のみぞぎに 立てるなりけり
香椎の宮のあや杉は、香椎の神の御神木として立っているのである。
拝殿・幣殿・本殿
香椎宮の本宮は朱塗りの美しい社殿で、手前から拝殿、幣殿、本殿と並びます。
最初に社殿が造営されたのは神亀元年(724年)です。承暦元年(1077年)に焼失したのをはじめ、たびたび焼失してそのたびに再建が繰り返されてきました。天正14年(1586年)にも香椎宮の背後の立花山にあった立花山城が島津氏の侵攻を受けたのに巻き込まれて焼失し、翌年に筑前国領主となった小早川隆景によって再建されました。社殿は寛永14年(1637年)に再び焼失し、福岡藩2代藩主黒田忠之によって再建され、享和元年(1801年)には10代藩主黒田斉清によって改築されました。
本殿は香椎宮でしか見られない独特な“香椎造り”で、1922年に国の重要文化財に指定されました。
正面に大千鳥破風のある平入の入母屋造りが基本ですが、左右に「獅子の間」と呼ばれる一間が張り出し、切妻屋根が組み合わさった複雑な形の屋根が特徴です。また、左右の張り出しには「車寄」と呼ばれる途切れた階段があり、御輿をつけて御祭神が直接乗り降りできるようになっています。
拝殿と幣殿は妻入りの切妻造りで、現在のものは1905年(明治38年)に建て替えられたものです。
一般的には香椎宮の幣殿に当たる建物が拝殿と呼ばれますが、香椎宮では勅使が幣帛を捧げる場所であるため“幣殿”と呼んでいます。
鶏石神社
鶏石神社は綾杉の傍らにある末社です。江戸時代に僧侶が鶏の死を憐れみ、石にかえて祠に祀ったのが起源と伝えられています。鶏は「文武勇仁信」という 5つの「徳」に優れるとされ、その鳴き声は神様の出現を知らせる特別なものとも信じられています。
鶏石神社は鶏がたまごを産みそのたまごが孵化するように形のないところから物事が成就する修理固成に神徳があるとされているほか、鶏は夜鳴かないことから子どもの夜泣きにも御利益があると言われます。また、鶏を祀る珍しい神社であることから例祭には鶏に関連する企業も参列しています。
鶏石神社の前には狛犬の代わりに一対の鶏の石像が鎮座しています。
鶏石神社のすぐ隣には食の神である保食大神を祀る稲荷神社があります。