建御雷之男神
天照大御神が再び神々にどの神を派遣したら良いか問いました。すると思金神は天の安河の上流の天石屋にいる天尾羽張神、もしくはその子の建御雷之男神を派遣するべきと言いました。そして天の安河を天尾羽張神がせき止めて塞いでいて他の神は行けないので天迦久神を遣わして問べきだと言いました。天迦久神が天尾羽張神に問うと、天尾羽張神は恐れ多き事ですが、お受けしましょうと答えました。しかし、我が子の建御雷之男神を派遣した方が良いと言い、建御雷之男神を天鳥船神とともに派遣しました。
建御雷之男神と天鳥船神は出雲国の伊那佐の小浜へ降臨しました。建御雷之男神は十拳剣を波打ち際に逆さに突き立てるとその切先にあぐらをかいて座りました。そして建御雷之男神は大国主神に、天照大御神と高木神の命で遣わされたのだと言い、葦原中国は天照大御神の子が治めるべきであると仰せられているがそれについてどう思うかと問いました。
大国主神は自分は答えることはできないので、息子の八重事代主神に尋ねるように言いました。八重事代主神は御大の御前に鳥や魚を捕りに行っていましたが、天鳥船神が八重事代主神を連れてきて、建御雷之男神が国譲りを迫ると八重事代主神は承諾しました。そして八重事代主神は船をひっくり返すと天の逆手を打って青柴垣に変えてその中に隠れました。
建御雷之男神は大国主神に、八重事代主神はこう言ったが他に聞くべき子はいるかと問いました。大国主神は建御名方神が最後だと答えました。
そうしていると建御名方神が千引石を手の先で持ち上げながらやって来ました。そして誰が自らの国に来てひそひそと話しているのかと問い、力比べを提案しました。最初に建御名方神が建御雷之男神の手をつかむと建御雷之男神の手はつららに、さらには刀に変わり、建御名方神は恐れをなして引き下がりました。今度は建御雷之男神が建御名方神の手を取ると葦の芽を摘むかのように一捻りにして放り投げたので、建御名方神は逃げ出しました。建御名方神は科野国の州羽の海まで追いつめられました。建御雷之男神は今後はこの地から出ず、父大国主神と八重事代主神の言うことには背かず、そしてこの葦原中国は天照大御神の子に献上すると命乞いしました。
建御雷之男神は大国主神のところへ戻ると、八重事代主神と建御名方神は天照大御神の子に従うと言っているがお前はどうかと問いました。大国主神は子達が言った通り葦原中国を献上すると答えました。そして、住む場所として底津石根に太い柱を立てて高天原まで届く氷椽をそびえさせた天照大御神の子孫が住むような宮殿を建ててくれれば八十坰手へ隠れようと言いました。また、大国主神は自らの子の百八十神は八重事代主神に従っているので逆らうことはないだろうと言いました。
建御雷之男神は出雲国の多芸志の小浜に宮殿を建てました。そして水戸神の孫の櫛八玉神が膳夫となって天御饗を献上するときに、櫛八玉神は鵜になって海の底へ潜って採ってきた粘土で天八十毘良迦を、海布の茎で燧臼を、海蓴の茎で燧杵を作り、火を起こして言いました。この火は高天原の高御産巣日神の宮殿の煤が長く垂れるまで焼き上げ、底津石根が焼き固まるようまで焚きましょう。長い栲縄で海女が釣った口の大きい尾翼鱸をざわざわと引き上げて、打竹がたわむぐらいの天之真魚咋を献上しましょうと。
こうして建御雷之男神は葦原中国を平定して高天原へ戻りました。