“一宮”の成立
“一宮”は平安時代後期から鎌倉時代にかけて成立したと言われていますが、一宮という制度についてはっきりと記された資料は残されておらず、どのようにして成立したのかについてははっきりとはわかっていません。
有力な説としては、律令制において国司が任国に赴任した時には任国内の主要な神社を巡拝することが定められていて、もっとも有力で一番最初に参拝した神社を“一宮”と呼ばれるようになったと言われています。また、神社が民衆の信仰を集めていくにつれて自然と序列が生じ、その最上位となった神社が“一宮”と称されるようになったとする見方もあります。
いずれにせよ、その国で最も格の高いとされる神社を言い表す言葉として使用されるようになっていきますが、誰がどのようにして一宮が選定したのかがはっきりとわかっていないうえ、あくまで平安時代当時の指標であるので、現代においては必ずしも神社の規模を表しているわけではありません。とはいえ、一宮とされる神社は平安時代からその格式が認められた歴史ある神社です。
律令制が衰えた後も“一宮”の呼称は使用され続けましたが、神社の盛衰によって“一宮”と称される神社が入れ替わったり、複数の神社が“一宮”の呼称を巡って争うこともありました。これらのことや史料の少なさもあり、同じ令制国にあった複数の神社が“一宮”を名乗っている場合があります。
一宮が成立した平安時代に朝廷の勢力圏の外だった沖縄や東北北部、北海道には歴史的に“一宮”と称される神社がありませんが、これらの地域では現代になって有名な神社が“新一宮”と称されるようになっています。